ジョージ
 クスコより列車で12時間。
アルチプラーノという高原地帯を南下し、チチカカ湖に着いたときは、もう夜の10時を回っていた。真っ暗な駅に降りて緊張しきっていると、
「セニョールフヒワラ!」怪しげな声がどこからか聞こえた。
「フヒワラ? jiはスペイン語でhiと発音する。」ひとりで納得していると、男がふたり、闇の中から出てきた。こわごわ相手の顔を見た。どうやら人間らしい。一応信じるしかなく、疑いつつ真っ暗なバスの中へ潜り込んだ。とにかく、疲れていた。ホテルに着くと倒れるように眠ってしまった。 
翌日、目が覚めると朝の5時だった。チチカカ湖が朝焼けに染まっているのが見えた。
夕べはなにもかも暗くてわからなかったが、とうとうこんなところまでやって来てしまったと思った。ボリビアはもうすぐそこであるチチカカ湖はこの規模では世界で最も高い所にある湖である。端から端まで約180キロある。チチカカとは現地の言葉アイマラ語で「灰色のプーマ」という意味だ。実際地図を広げて見ると獣の形にみえる。古代の人は正確な地図でも作っていたかのようだ。ただし湖の色は灰色どころか空よりも深く青い。
 その日は浮島に住むウロス族を訪ねシュスタニというプレインカの遺跡を観て終わった。
次の日は空けてあったのでガイドのジョージにタキーレ島に案内してもらうことにした。
タキーレはチチカカ湖の中にある小さな島で比較的訪れる人も少ないそうだ。
最初この話を持ちかけた時、ジョージは船をチャーターして2時間かかるし一日がかりだからガイド料も含めてひとり45ドルでどうだと言った。
「ここまで来て行かないなんて・・・」
私達は意見の一致をみてオーケーと答えた。
予想通りタキーレ島は最高で、結婚式までみることができて充分満足して船で戻った。
戻った船着場は私達の泊まっている所から20キロほど離れていた。そこでしばらく迎えの車を待つこととなった。朝八時に出て今は夕方の6時。すっかり日は落ちている。
だが、いくら待っても来ない。
「またか」
もう予定通り事が進まないのにはなれていた。突然、ジョージは今日の値段の話を始めて、
「35ドルでオーケー」と言った。
 その後、ジョージは電話をかけにいき、迎えがこないわけを話した。
「相棒が飛行機でやってくる客を迎えに行った。相棒はまだ飛行場で飛行機を待っている。だから車は来ない、乗合いバスで行くしかない。」
そう言うのだ。乗合バス、これはただものではない乗り物である。
車内は真っ暗。信号は無視する。物は盗まれる。第一果てしなく悪臭漂うこの世のものとは思われない乗り物なのだ。しかし乗るしかない。覚悟してじっとバスを待った。すると、よたよたと思った通りのバスがやってきた。恐る恐るバスに乗り込むとすぐに荷物を両手で抱きかかえて神や仏にとりあえず祈った。ここはマリア信仰の厚い国なので、聖母マリアにもついでに十字を切っておいた。だが、ホテルまであと数キロの所で降ろされてしまった。
「今日は疲れているから、もう帰る。」
なんと分かりやすい説明なのだろう。運転手に腹を立ててはいけない。こんなことはよくあることなのだ。
客はぶつぶつ言いながらも、それぞれの家路に向かって闇の中に消えていく。
(ジョージ、あなただけが頼りだ。)
すると、ジョージは、
「アドベンチャーだね!」
まじめな顔をしてそう言った。私達は真っ暗な道のまん中、顔を見合わせて大笑いしてしまった。本当のところ一番怪しい人間は私達だったかもしれない。幸運にも私達はタクシーを捕まえることができ、かろうじてホテルへと戻れた。そこでジョージは再びお金の話をし、自信に満ちた顔で、こう言った。
「27ドル!」
どこから出てきた金額かはジョージにしかわからない。
私達はただ今日の無事を祈って乾杯した。標高4000メートルの一杯は、めまいが襲ってくるようだった。