ヒロ
 標高3400メートル。
クスコの街はアンデス山脈の間の街といっていい。
私達は高山病の薬やら睡眠を十分にとってこのクスコにやってきたのだが、何のことはない。
走ったりしなければ、頭痛吐き気めまいはなかった。この街に来るにあたってもうひとつ注意を受けていた。それは盗賊の街としてのクスコである。徒党を組んで財布やカメラなどをすったりひったくったりするのだという。内心ほんとかなあと思っていたのだが、ヒロは、
「ほんとだよ。」と、はっきり言った。 
ヒロ。本名は聞き落としてしまった。
日系人であるがペルーの生まれではなく両親はブラジルにいて国籍もブラジルだという。
あくまでフリーのガイドであり本業ではないらしい。ここ数年はこのクスコに住み日本人相手にガイドをしている。日本語のほうはなかなかうまかったが、スペイン語やポルトガル語のほうが得意だという。
 最初に街の中をバスで見て回ったのだが、大きな広場(たいていアルマス広場というのがどこにでもある。)以外バスから降ろしてくれない。わけを聞いてみると危険だというのだ。
クスコには泥棒市場というのがあって、そうとは知らずにのんびり歩いていると、知らぬ間にポケットはカッターで切られ財布やカメラまでとられてしまうのだという。先日はその市場で日本製のカメラを買って家に帰るとたちまち警察がやって来てこう言ったという。
「そのカメラは盗品であるからすぐによこしなさい」
しばらくするとまた同じカメラが同じところで売られている。つまり警察さえ泥棒の仲間であると。「この街で信用できるのは、お金だけ。」
ヒロはそう言う。 
信号があるのだがついていない。
「今日は停電ですか。」
「今日は日曜日だからね。信号は休みね。」
おおよそこんな調子なのである。
「わたし、車とても好き。去年車検の切れたRX7をチリに輸入しました。もちろん車代はただ。船賃だけね。わたし、廃車と同じ車一台買う。夜パンアメリカンハイウエーを走り抜ける。国境越えるときRX7だと言う。暗いから分からないね。チリに着く。車乗り換えて本物のRX7に乗って帰る。帰り最高ね。税金なしね。」
ヒロの話はとりとめもなく続く。
無法地帯といえば確かにそのとおり。だいたいクスコに住んでいる人で税金を払っている人というのはほんのわずかだという。ほとんどの人は税金を払わなければいけないということさえ知らないそうだ。国が自分たちをしっかり守ってくれないけれど、国というものに縛られてもいない。いい悪いではなくそういう国があることをヒロに教えられた。
クスコ最後の晩はヒロと夕食をとった。ペルー風焼肉を食べたのだが、二人前頼んで大のおとな四人が食べきれなかった。食べ終わって外に出ると南十字星が中天に輝き、今年大接近した火星が月のように明るかった。
「もう遅いからわたし、タクシーで帰る。」
「ヒロの家はここから遠い?」
「歩いて十五分くらいだ。でも路、とても暗い。襲われて怪我した友達いる。」
 思わず自分の上着のチャックを締め直してホテルへと急いだ。