マリア=ライヘ
印象的な大きな手
 フライトの後、私達はゆっくりと食事をした。食事が終わるとピカソがやってきて行こうと言う。
どこに行くのか分からない。外に出るとブーゲンビリアの門があって、その下に黒い自動車が止まっている。ペルーに多く走っているコルネットという車だ。車に乗るとナスカの中心街に向かって行った。中心街といっても殺風景なもので何をするでもない人たちが明るい太陽の下でぼんやりとくつろいでいる。
私達はホテルの前で降ろされた。どうやら私達の目的地はここらしい。中に案内されてからしばらく待たされた。誰かに会うのらしいのだ。 二人の老婆がちょうどレモンジュースを飲みかけていた。ピカソは何も言わずその老婆の横に座るように合図した。
誰なのだろうか。
老婆はまず英語かスペイン語かドイツ語かどれで話すのがいいか聞いてきた。
いろいろやりとりしてゆくうちに彼女はこのナスカの地上絵の研究者であることがわかってきた。
現在八十四歳。未だに現地に立って調べているという。彼女はこれらの絵が農耕に関係した暦であろうという。
事実ある地上絵の線の延長上に太陽が沈むことが確認されている。(冬至や夏至など)
しかしまだ説明のできないものが多くあり決定的結論は出ていない。ある学者はコンピューターまで駆使したがだめだった。 ナスカの地上絵が世界的に有名となったのは1939年のことである。
ドイツ人のマリア=ライヘは20代の終わりにペルーを訪れ、ナスカの地上絵を知った。
「なぜ描かれたのか。」 
当時誰にも分かっていなかった。ドイツは第1次大戦に破れ廃墟となっていたが、マリアはここナスカに住みついて研究を始めた。すでに数十年の歳月がここナスカで流れてしまったわけである。
古代の謎解きに半生をそそいだマリア=ライへは、ここ十数年ずっとホテル住まいであり、お金を払うことなく利用できるのだという。町の誇りというのは、「人」なのだろう。

人がいなくなった時、文明も謎に埋もれてしまうのかもしれない。
そしてどこかで誰かがその謎解きに一生をかけている。
 そんな思いにとらわれなら、マリア=ライへに別れを告げた。

追記
マリア・ライヘは、1998年、この世を去りました。彼女については楠田枝里子氏が詳しく書いています。また、楠田氏はマリア・ライヘ基金の活動を通して、地上絵の研究保存を支援しています。
 楠田氏のマリアライヘホームページ