ジンベエザメに出会うまで
AUG 2005 沖縄 読谷村
 昨日の夕方は雨が降っていたが、今朝は晴れ。ジンベエザメの体験ダイビングは、ちゃんとできそうだ。
 ホテルに迎えの車が来て、早速出発した。さとうきび畑を走り抜け、海に向かって下っていく。着いた場所は、読谷村漁協。「よみたんそん」と読む。そこで簡単な説明を受ける。準備ができてすぐにボートに乗り込んだ。
 サメのいるところは沖合800mほどのところだ。ボートは、波しぶきをあげて突き進んでいく。さすがに沖合800mくらいだと、いくら沖縄でもコバルトブルーの海というわけにはいかない。底知れない深い青色である。生け簀のところにはイカダがあってそこに機材共々あがる。インストラクターの人に次々と機材を取り付けてもらう。「はい、イカダの端に座ってください。足を入れて。」インストラクターの人がすぐに沈まないないように、ウキ袋のようなものに空気を注入する。
「ゆっくり入ってください。そしたらイカダのまわりのロープにつかまってください。」「レギュレーターをくわえて、息をする練習をして、顔を海中につけてみてください。」
言われるままに、息をし海中に顔を沈めてみた。底が見えない。当たり前だ。沖合なんだから。でもそう思ったとたん、おぼれると思ってしまった。ちゃんと口で息をしているのに、本能的に息ができないと思いこんでしまう。この本能的思い込みから解放されるのに10分近くもかかってしまった。あと少しで50歳。新しいスポーツをするのはつらい。浮き袋の空気を抜いてもらい、やっと潜っていく。少したつと、さっきはなぜあんなに息ができなかったと思うくらい平気になっていた。生け簀はイカダの4mか5mくらい下にある。そこに生け簀の網があってそれにつかまって、サメを見ることになる。少し耳が痛い。耳抜きをするのがなかなか難しい。レギュレターで息をしている状態で(つまり口を開けた状態で)するので、なかなかうまくいかない。
 するとそこにサメがやってきた。以前、水族館で見たことがあるので大きいことは分かっていた。が、すぐ目の前を悠然と泳いでいく姿は、ただ大きいというだけではなかった。もっと違うものを感じた。インストラクターの人が、生け簀の中に入って、オキアミをまいている。サメは口を大きく開け、水中にばらまかれたオキアミを、一気に吸い込むように口の中に取り込んだ。その時、インストラクターの人に促されて、自分の手をそっと伸ばした。手はサメの頭の上の方に確かに触れた。わたしは大きな犬の頭を軽くたたくように2度3度と触れてみた。しかし、サメは、わたしが触れたことなどまるで気づかぬように、ゆっくりと向きを変えて去っていった。
 今自分は、底深い沖合で、海の中にいる。ゴボゴボと自分の吐く息の音を聴きながら、漂っている。目の前には6mを超すサメが泳いでいる。透明度は最高だ。しかし底はあまりに深過ぎて何も見えない。ただ濃い藍色だけが見える。近くを魚が何匹も通り過ぎていく。これも人間など気にしてない風だ。ジンベエザメの口のすぐ前を、小さな小魚が5匹ほど並んで泳いでいる。サメに追いかけられて逃げているというより、サメをからかっているようだ。サメだってさっきの要領で一気に吸い込めばあっという間に口の中に飲み込めるはずだ。それをしないのは互いに遊んでいるのだろうか。
 それにしても、この感覚は何だろう。大きな海の揺らぎの中に浮遊しながら、圧倒的に大きなものの前で、感じるこの感覚。安堵感だろうか。それとももっと別のもの?よく分からない。
 「さあ、あがりましょう」インストラクターが指で合図をしている。惜しみつつ、光の揺れる水面に向かって、ゆっくりと浮上していく。
 海上に出ると、まぶしい光と共に、自分の体重と鉛の重みを一気に感じた。口で息をしていたせいかのどが痛くて咳き込んでしまった。ボートが迎えに来る間、イカダの上で照りつける太陽に疲れた体をさらしながら、何度も海の中を思い出していた。まだ耳の奥が痛い。緊張をしていたのだろうか。たった30分足らずのダイビングなのにくたくただ。迎えのボートが遥か波間に見える。すぐに来そうでなかなか近づかない。
「父さん、でかかったね」息子がそばでそう言う。
「そうだね、でかかったね」もうこれ以上の話はなかった。
ボートにつかまりながら見上げると、沖縄の真夏の空がどこまでも広がっていた。